前回ブログの次に、まさかこのような内容を綴ることになるとは思いませんでした。
今日は親育ち・親子本能療法の祖であり、私の実母である「桝田宏子の永眠」について書かせて頂こうと思います。
遡れば7月13日に入院。その晩に脳梗塞となり、そこから最後まで意識が戻ることはありませんでした。
入院期間は1ヶ月半。面会に行くたびに母に繋がれる管が増えていく様は私にとっては大きなインパクトがありまして。
正直、それを目にするたびに自動的に涙が溢れまして。
立ち尽くしながら、わが母の命が死に向かっているのを感じざるを得ない毎回。
しかしながら、何故か何度も面会に向かう自分がいました。
意識がない、話しかけても反応もない。
そんな状況でしたが、SCSのこと・息子として思うこと、わが子や妻のこと…いろいろな話を一方的にしては帰る日々。
(↑母とのツーショットは7年前が最後でした)
母は生前、「自分の人生を健全に生きた人は、死去する3日前に弱ってスッと死んでいくのよ」なんて言ってましたので、「話が違うじゃないかよ!」なんて話も。
入院中に2回ほど「山場」があり、私と妹の家族が深夜に駆けつけることがありました。
孫たちがそれぞれに「死なないで欲しい」という気持ちを泣きながら口にする。
そんな最中、私は「母ちゃん。もう、いいよ。もう頑張らなくていいよ。親がしてくれる事は全部してくれたよ」と伝えました。
小1の息子は「なんで、頑張らなくていいんだよ!死んじゃってもいいのかよ!」と真っ赤な目で問うてきましたが、私は涙をこぼしながら繰り返しました。
切開した喉への直結人工呼吸器、乱れる心電図、足先は壊死してドス黒い赤紫色に。
私としてはどう考えても「頑張っている、頑張らされている」ようにしか見えずでして。
(↑孫にはとっても甘いお婆ちゃん)
もし母親が1ヶ月半もの時間を頑張った理由があるとすれば、それはコロナ禍で時間を共にする事ができなかった妹家族に対する配慮と思います。
そして、森羅万象の営みとして「自分が死にゆく様を孫たちに見せようとしていた」のであろうとも思います。
そして、8月31日木曜日。
まるで蝋燭の芯についていた炎がついえるかのような形で母は永眠しました。
享年80歳。
同年春には「私は90歳まではこの仕事をやる!」と豪語していたほどなので、このタイミングで逝くとは本人も思っていなかったのであろうと思います。
しかし、母は逝きました。
そこからは親族代表・喪主、SCS代表として色々と目まぐるしい日々。あっという間に通夜・告別式(無宗教葬のお別れの会)に。
当日は驚くほど多くの方々がご会葬くださりました。心より感謝申し上げます。
その際、喪主挨拶でも以下のことをお伝えさせて頂きました。
①私と妹は本当に母の子で良かったと思うこと。
私も妹も普通ならば経験しないであろう”人生で最大のピンチ”に襲われた経験があり、それを全く動じない心で支えてくれたのが母でした。
母が母でなければ、今の私、今の妹はなかったであろうと思います。
②無条件肯定は親であるならば当たり前の営みであること
ピンチの時に、母が我々子に施したのは「絶対的な味方であること」と「無条件肯定」、必要なだけの余りあるサポートでした。
今回の母の死をへて、今一度自分の経験を振り返り思うことがあるのです。
それは「心が折れてしまったり、病んでしまった人、社会に居場所が無くなった人(そのように感じてしまっている人)に対して、「そのまま。何もしなくていい。そのまま。生きているだけでいい」と無条件肯定をするのって当たり前のことなのではないか?」と。
この発言が綺麗事に感じる人もいるでしょう。実際、人の痛みを知らなかった20代の私が(赤の他人として)ここまでの文章を読んでもそう思うかもしれないです。
しかし、父親である私はなんの迷いもなく言えるのです。
「弱ってしまっても、そうでなくても。わが子の命に対して、無条件肯定をするのは当たり前のことだから僕はします」と。
③親が育つこと、親子の縦糸を通して行くことが全てを可能にしていくこと
今の社会は「命が大切であること」「命の価値が平等であること」に対して鈍感になってしまいました。
よって、誰も声高に「生きているだけで価値がある」と言わなくなった、そんな空洞化した社会に僕らの子どもは生きているのです。
親子を三世代で考えてみると大正→昭和→平成→令和と歴史を巡っていますが、果たして”親子の愛”は成熟したのでしょうか?
私は「逆行、つまり親子の愛は劣化している」ように感じているのです。
日本は平和な国ですので、まだ”なんとなく生きていける国”ですが、不登校・ひきこもり・若年層の自殺の激増が意味するものはなんなのでしょうか。
親子にも世の中にも、足りてないものがあるから、子どもたちが容易に絶望するのです。
まず最初に親がわが子に対して授けるもの、それが無条件肯定という「生きていて良いという希望」であろうと思うのです。
④愛のバトンとは
母はその人生と臨床経験をとおして「親育ち」という概念を中核において支援してきました。
絶望的とも言える数多のケースも、親が取り組むことで子の中に欲求感を蘇らせ、弱体化し混乱錯乱した自我に尊厳を与え、何度も奇跡のような回復に導いてきました。
その様は「親の愛によって人間の本能が再稼働してこそ」のことといえます。
私は母の息子であり、わが子の父親であり、法人代表でもありますが、その全てに「親育ち・親子本能療法(Parent-Centered Need-Fulfilling Therapy)」の哲学が宿っています。
子のために、自分のために、家族のために「親が育つ」。
それこそが「親子の縦糸に伝わる愛というもの」であろうと思います。
今の私は母の他界に対して、絶望もしていなければ悲しみに暮れてもいません。
なぜならば、親としてできる事は母親に全てして貰った感謝があるからです。
その感謝を例えるならば、母から私に託された「愛のバトン」といえます。
母が他界したこんな状況でも、「人はこんなにも強くあれるものか?」と自分ですら驚きます。
ひきこもり、復活し、臨床心理士となった「親育ち・親子本能療法」を体現した私が感じること。
親の子育ての中核とは
『わが子が幸せを感じられる人生を生きること』
『その道をきちんと選び取る自我機能を授けること』
かと思います。
だから私がいつかこの世を去るとき、
息子に「親父、もう逝っていいよ。俺には愛のバトンがあるから大丈夫だよ」
と言って貰えるような自分でありたいと思うのです。
皆さんが親育ちの道を行くということは、
「わが子の中に、どんな自分(母親・父親)を残すか?」という営みであろうと思います。
私の心にいる母は、いつでも穏やかに微笑んでいます。
桝田智彦(ますだ ともひこ)
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