この10年はずっと忙しく、特段、昨年は執筆と公認心理師試験勉強があったので、盆暮れ正月、GWは妻と息子に実家に帰って貰い、取り組ませて頂きました。
今年は心理士になって以来、『初のしっかりとした夏休み』を頂けました。
とにかくやりたかったのが書類や荷物の整理。
ダンボール5箱分が納戸にあったので、選別してシュレッダーとファイリング(心理系はオフィシャル発行物でも、再配布は禁じられているので悪用されないようにシュレッダーかけ必須)。
書類の他にもダンボールに入っていたCDを見つけて懐かしく聴いてみたり。
その中に中高生の時に聴いていたパンクやロックバンドのCDに埋もれた形で発掘されたのが、渡辺美里さんの『misato ribbon』(当時はパンクやロック専門でしたので、口が裂けても聴いてる事は言えず、隠れファンでした(笑))。
なんとなく気になって聴いてみたら凄く良くて。作曲陣も小室哲哉、木根尚登、岡村靖幸、大江千里(敬称略)等のオールスターズ。
中でも「いいなぁ~」と思うと、『悲しいね』作曲が小室哲哉さんや「10years」大江千里さん(現在はアメリカでジャズピアニスト)作曲なんですよね。
こういう時間を過ごせると、自分がどこから(中学)何処まで(四十路半まで)来たのか分かり、振り返るとてもいい良い時間となりました。
だもんで、改めて『お休みって必要なんだな』と思った次第です。トミカ博も行けたし(笑)。
コレと言ってみなさんにお伝えしたい事は無いのですが、一つあるとすれば「生きていればいつか景色は変わり、感じなかったコトを感じてくる」こともあるということ。
「死ぬ前に人の役にたってから」と思いながら(高卒の)私が大学に向かったのが30代なかばです。
安心安全を母親に保証され、そこからの出会いの全てで、私は『過去を否定する事なく自分を再構成出来た』のだと思います。
私の音楽のベースにはロックがあるので、基本嫌だと思ったら「ザケンナヨ!と」怒りをはじめとした意思表示はできますが、抑うつ状態下にあって萎縮していた30代は今思うと情けないほどクヨクヨしていました。
クヨクヨしていた時に仲間や知り合いから聴こえてきたのが『もっと辛い人がいるから、頑張れよ』でした。
でも、とてもじゃないけど無理でした。
『がんばれ』って、元気は表に見えているだけで全部ですよって。
なんだか、みんな“ バックヤードに元気の在庫がある事が前提 ”で言ってくるなぁ…と。
10代前半〜20代中盤までの私はイキイキしていたと思う方も多く、確かに自分もその自覚は少しあります。だって、死に物狂いで音楽をやっていたから。
命を燃やすように生きていたなぁと。こういうとカッコ良すぎますが、そうする以外生きる(生きていたい)方法がなかったからです。
あの頃はみな『お前は好きな音楽やれて良いよな~』とか、言って来ました。でも、私は「チっ、分かってもらえてねえな」と(笑)。
『ただなんとなく生きる事など出来ないし』『自分の命は何のために存在しているのか?知りたいし』『生まれてきた意味を握り締めたい』と本気で思っていたから。
そう言えば当時、村上龍さんの小説「コインロッカーベイビーズ」・「限りなく透明に近いブルー」等をよく読んでましたね。
このような心は時に「思春期心性」や「モラトリアム心性」と言ったり、「アイデンティティの獲得の最中」と評価されたりするのでしょう。
しかし、そんな言葉では形容できない程に「ドロドロとして、常識的には間違っていたり。人間の儚さと弱さと正直さが旋律と振動として伝わったり。涙が出るほど心に響くモノや感動、時に心が洗われるほど美しかったりする瞬間」があったり。
↓その全てが音楽の世界にはあったし、音楽を通した出会いのお陰で今日まで生き延びたと思います。
出会うべき音楽に会えてなかったり、親に音楽を禁止されていたら恐らく死んでるか、何か悪いものに取り憑かれていたと思います。
そんな私ではありますが、あれから20年たって見つかった「大切なモノ」があります。
その大切なモノとは
『息子や妻との時間』。
そして2人が象徴してくれているように
『人(わが子・妻を含めた)との出会い』です。
これ以外にないです。
あとは強いて言うとすれば、SCSカウンセリング研究所を守っていくこと位かな(笑)。
人生って不思議で“ その時を切り取ったら幸福 ”でも、“ 別のある時を切り取ったらドン底 ”で、それが続いていることに意味があるのだろうと。これは私自身がアイデンティティの拡散を経験したからこそ思うことかもしれません。
それでも、息子の命を護らせてもらえる「父親の立場」になって感謝の意味が分かりました。
だって、息子は私どもや他人様、医療などのおかげで生きているのだから。かつて無力であった自分もそのようにして護られてきたのだと。このお互い支えあっている点で世界は成り立っている事に気がつけてから、感謝の心が格段に私の中に宿りました。
ある意味で息子が生まれてくれなければ、まだ今も「他人に感謝出来る人間」でなかったかも知れません。
私は実の父親から、今自分が息子に与えている様な眼差しや愛というモノを貰った記憶はありません。幼稚園以降は記憶がしっかりあるので、もしも分かりやすい愛をくれていたら3歳以下の記憶のない頃の私へでしょうか。
別に虐待された事もないけど、私の父親はいつも怖い顔だったし、悪ことしたら鉄拳制裁だったし、愛情を私に分かりやすく表現してくれることはなかった。
でも、今となっては「死んだオヤジは、私への愛情表現をしたくても、その辛い生い立ちのせいで出来なかっただけかな?」と最近思います。
そんな私でも、なんで息子に対して愛情をかけられるか?
答えはとても簡単になんです。
『 自分がして欲しいコトを、息子にもしてあげたいからです。 』
人を愛するという事は「相手から何が得られるか」ではなく、「相手に何を与えうることができるか」であると、この歳になって思います。
そして、このコトがなによりも人間に必要だと思うからです。
私は仕事柄、沢山のお父さん・お母さんたちとお話しさせて頂けます。親としては殆ど全員のみなさんが先輩なのです。それ故に、いつもリスペクト(尊敬)を持って面接させて頂いております。
それでも、自分にとって(わが子にとっても)「大切なものが何か?」ご自身で意識されていない方も少なからずいらっしゃる気がします。
大切なものが私と同じである必要はありませんが、自分への理解を深めるのは今からでも、何歳からでも遅くないと思います。
それが出来たお父さん・お母さんのお子さんから回復が始まっているように感じます。恐れず心を開けば10年要せずに、大切なものが見え、目の前の景色が変わってくるかも知れません。
その相手が私である必要もないかと思います。
誰かと出会わないということは、その間に誰かと出会っているからです。
私は息子と出会ってますので。
死ぬまで息子のお父さんをさせて貰いたいのです。
その過程で、息子に「人と出会い繋がる力、愛の意味」を与えてあげるのが養育だと私は思ってます。
そのために学び、生き方として「親育ち」を実践して参ります。
今日もお読み頂きありがとうございました。
桝田智彦(ますだ ともひこ)
⬇️ 講演のお知らせ ⬇️
●2019年9月28日(土)
福井県越前市社会福祉協議会
タイトル:「親から始まるひきこもり回復]
場所:福井県越前市文化センター
時間:13:30~
●2019年11月30日(土)
福井県 反貧困キャラバン福井実行委員会
タイトル『おとなのひきこもりの“今”。~親ができること・社会にできること~』
場所:福井県教育センター4階大ホール
時間:14:00〜
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