ひきこもり専門の臨床心理士として支援に当たらせて頂いていて、未だに感じるのが世間からの『ひきこもり=怠け者』などの偏見です。
不登校に関しては世の中の理解が進んだのか、行政の対策・取り組みが周知されて来たのか、5年単位で見ると寛容さが明らかに増している気がします。
しかし、依然、ひきこもりに対しての大衆イメージに変化が無いように思います。
ひきこもりは「働いたら負け」発言に代表されるようなニートと混同されがちですが、違います。
ひきこもりとニート、この2者は社会参加をしていない点においては同じですが、切実な心理構造としては全く異なります。
(深い深い無意識(心の底)での親に対する葛藤において同質性は有る気もしますが、論点がブレるのでココでは扱いません)
ひきこもる当事者は「この状態をなんとかせねば」「人としてちゃんと扱ってくれ、人生を立て直すチャンスが与えられるならば社会参加したい」と思っているのです。
『じゃあ、自分で頑張りなよ』と言うご意見があるかと思うのですが、孤独の世界、その暗い落とし穴に落ちている人には這い上がる気力と体力が枯渇しているのです。
それでも尚、自己責任論をと思う方には「孤独と絶望の土を舐めてみなされ」と申し上げたい。
社会にも学校にも絶望し、人生の落とし穴に落ちてしまっている状態の人には「独力で這い上がるのはとても難しい」と考えます。
ここまでひきこもりの問題が長期化し、広範囲の年齢に及んでいる(15歳〜39歳:54万人、40~64歳:64万人。合計:115万人)ことからも自明の理であると思います。
その人達に向かって、投げかけられるのが『自己責任論』。
自己責任論とは『ひきこもったのは“その人のせい”』というもの。
はっきりいって、それは違います。
そう思う方や、親御さんに申し上げたい。
自己責任論は次の2点で、単純に「論理破綻」しています。
- 『未来は今日の続き』
つまり今日、ひきこもりに追い込まれている人の「未来はひきこもり」となります。よって、自己責任でひきこもっているならば、明日以降もひきこもり続けることになります。
_ - 可能性の問題
ひきこもったのが全て“その人のせい”だとしたら、ひきこもりから抜け出す要素(可能性)がない事となり、ひきこもり続けることになります。
これらのことから、自己責任論は無意味と考えます。
そして私はこう思います。しばらくの間、ひきこもる青年たちが「(ひきこもった原因を)少しでも人のせいにすると良い」と。
例えば、ひきこもったのは「親のせい50%、社会30%、自分20%」だとしましょう。
この場合、80%も未来が拓けていく可能性があるのです。
そして、この思いを親御さんがシッカリと聴き取ると、やがて自分の20%から引き受け出すのです。
「未来は今日の続き」ですから、可能性を増やしてあげられるのは共に暮らし、我が子を大切に思う親しかいないのです。
「お父さん、お母さんが、我が子の可能性を広げてあげて下さい。」
親がしっかり聴き、取り組めば、我が子の中に必ず「希望の灯」は灯ります。
そうすれば、当初は人のせいにしていた我が子でも、やがて必ず「20%以上の自分の責任」を背負っていけるようになるのです。
ひきこもり回復に必要な初めの礎は「自分は生きていてもいい」という「希望」です。
本日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
桝田智彦(ますだともひこ)
⬇️ 講演のお知らせ ⬇️
●2019年9月28日(土)
福井県越前市社会福祉協議会
タイトル:「親から始まるひきこもり回復]
場所:福井県越前市文化センター
時間:13:30~
●2019年11月30日(土)
福井県 反貧困キャラバン福井実行委員会
タイトル『おとなのひきこもりの“今”。~親ができること・社会にできること~』
場所:福井県教育センター4階大ホール
時間:14:00〜
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