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(追記あり)『人の気持ちになる』難しさと尊さ。

 

人の気持ちになる』。聞き馴染み深い言葉でありながら、いざ実践となると相手がわが子であっても、配偶者であっても非常に難しいものだと思います。

それは、誰もが心の中に「自分の価値観と言う定規」を持っているから。

ときに「ひきこもりの親子関係」を見るとき「言葉を発するわが子(相手)」の言う事や内容を、親の側の定規で『良い・悪い』の2択で測り、裁いてしまっている事が多々く見受けられます。

 

かくいう私も過去、自分の定規で相手の言っていることを推し量り『辛い気持ちは分かるけど、何とか耐えれるはず』とか『きっと時間が解決してくれる』と思ってしまった事があります。

しかし、私自身大切な親友を永遠に失い、ひきこもった事で、初めてその人の思いが身に染みて分かった事があるのです。

 

それは『人の苦しみや悲しみは、自分の想像を遥かに超えた次元に確かに存在する』と言うことです。

 

 

そんな苦しみや悲しみを持つ人間じゃなくても人を支援できると思います。一方で、そんな苦しみが分かる人が寄り添った方が誰かの心を温めるうるとも思うのです。

 

そんな私の思いを体現するかのようなブログ記事をご紹介させていただきます。

SCSカウンセリング研究所・スタッフ小林が直近で体験したエピソードが小林のブログに「わからないこそ、わかろうとしてきた」というタイトルで綴られております。

 

発達上の障害の子を持つ親としての小林。他のお子さんが学校へ向かう中、特別支援を受けるために反対を行く小林親子が偶然出会った60歳位のおばさまとの「思いを知る」両者だから共有できた何か。

 

これこそが、本当の意味での『人の気持ちになる』ということの尊さではないかと思います。

他人のブログテキスト(ブログ記事)だけで涙が溢れたのは初めての体験でした。

ちょうど読んだ日が、私の出版記念特別講演会の朝であった事も何かの思し召しかと感じるほどです。

 

 

 

その日、小林に会った朝。何故か私の口から出たのは『あの記事を書いてくれて、ありがとう』でした。

もし、宜しければリンクを貼りましたのでご覧下さいませ。

 

親がひきこもるわが子の立場になれれば、必ずわが子の心の傷は癒えていきます。傷が癒えれば、必ず建設的な人間性になるのです。

 

結局、何が言いたいか? それは、ひきこもるわが子は『裁かれなくても、大切な事は十分分かっている』という事です。

 

わが子は『ひきこもる為に生まれてきた訳じゃない』と思っているのです。

 

だから、その立場になって考えてみて欲しいのです。

 

そして、親(みんな)があと一握り、真心と言う名の『人の気持ちになる』事が出来れば、世の中はきっと良くなる。

 

私は見えない息子の心を、常に分かろうとする親であるために、息子から学び続けたいと思います。

 

わが子の状態が何歳であれ、どうであれ、『人間として』学べる人と思えたら、親にも見えてくるものがあると思います。

 

本日も最後までブログ記事をお読みくださり、ありがとうございます。

 

追記

⬆︎今日偶然ネットで見つけました(7月7日(日))。

 

桝田智彦(ますだ  ともひこ)

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