12月15日 オヤジの会タイトルは「8050問題 OSDとOIS 親の死去」
オヤジの会(父親向け講座)の年度最終日でした。
ちょっと重めなタイトルでしたが、沢山のお父さんたちがご参加下さりました。
ちょうどこの日は元農林水産事務次官事件の判決が出る前日でして、数日前から面接で多くの親御さんから「桝田さんは、どう考えるか?」とご質問を頂戴しました。。
その都度、私の考えをお伝えさせて頂きました。
ここでは、それについて詳しく書くつもりは無いのですが、お話しさせて頂きながら、「おや? お伝えしていた大切なことが皆さんの頭から抜け落ちている」と感じまして。
オヤジの会でも、今回の事件を考える主要エレメントとしては、わが子の「家庭内暴力・暴言」が挙げられると思います。
「家庭内暴力・暴言」は怒りをまとって表出されるため、受ける側の親としては深刻かつ恐怖であろうし、なんとかしたいと思われるのが自然だと思います。
しかし、「怒りに」には正体があるのです。
心理学では「怒り」は第一感情ではないと考えられているのです。
例えば、ご夫婦で喧嘩調での大口論中、子どもの先生や恩師・直属の上司から着電があった場合(ナンバーディスプレイやスマホでは電話を掛けてきた相手がわかりますよね)。
皆さん、怒りに任せた態度や口調で電話に出られますか?
ほとんどの方が、声色を平常に保つか、もっと言えば真逆の丁寧な口調に調節して受話器をとると思うのです。
このエピソードが何を証明するか? 要は、怒りはコントロール(調節)できてしまうということ。
調節できてしまう感情は第一感情ではないのです。
怒りとはそもそも、
- 「相手に〇〇であって欲しいのに、〇〇じゃないことを感じる時」や、
- 「本当は〇〇のような自分でありたいのに、〇〇とは全く違う現実がある場合」
などの時に人間が抱く感情です。感の良い方ですと、もうお気づきになりましたでしょうか?
怒りという感情の正体、
それは「悲しみ」です。
我々は「悲しい」時に怒るのです。
我々人間のDNAは心を守るために「悲しみ」をスルーして「怒り」という表現を取るようにプログラムされているのです。
なぜなら、悲しみや悲哀を感じ続けると人間の心は病んでしまうために「怒り」という受け身を防衛本能で発動するのです。
わが子が「暴言・暴力」を親にあててくる時、親が「売り言葉に買い言葉」ですと全くもって良いことにはなりません。
わが子の「暴言・暴力」は『悲しみの叫び』だと、親が受け取るようになれれば、親子関係に必ず良質な変化が生じてきます。
では、どうやってわが子の「悲しみの叫び」を受け取るか?
受け取り方や対応は心理学的に考えれば非常にシンプルです。
(方法は講座に参加された親御さんたちに申し訳ないので詳しくはここに書きません。本にも書かせていただいておりますのでご参照くださると幸いです。)
8050問題、OSD(親が死ぬ前にできること)は様々あるかと思います。しかし、親が一番なすべきことはわが子の心に「自分を最後まで分かろうとしてくれた親の存在」を残すことではないでしょうか。
親が死去された時に「あたたかい存在があること」、コレを心理学では「対象の内在化」といいます。この存在こそが「基本的信頼」であり、人を生かせていくのです。
このような心理学に立脚した考え方や対応を、親の講座で学んでいただければと思います。
私のお伝えする講座内容は全て心理学に立脚しています。経験談も大切ですが、それでは多くの人に有用だとは言えず、むしろ有用可能性が低い場合も多いものです。
来年は1月14日(火)に母親講座が、1月26日(日)にオヤジの会(父親の会)がございます。
わが子の自己実現とアイデンティティの獲得のため、共に歩んで参りましょう。
講座の詳細はSCSカウンセリング研究所の方でご案内しております。
詳しくは →こちら←。
桝田智彦 (ますだ ともひこ)
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