久々のブログとなってしまいました。
昨今の新型コロナウイルスの影響で、私が役員を務めるSCSの方でもリモート面接など様々な対策を講じる必要性が出てきたり、個人的にもいろいろと重なり、コロナ禍は余裕なく過ごしておりました。
先日、面接させていただいた親御さんから「最近、桝田さんのブログ更新されていないですね。ブログ見て保たれている方って結構いらっしゃると思います」とご感想を頂きまして、褌を締め直した次第です。
2ヶ月ぶりのブログで何を書こうかと考えた際、悩まずコレにしよう思ったのが「わが子(逆)の立場になって考えてみることの大切さ」です。
これは、ひきこもり・不登校・家庭内暴力・激しい暴言、強い強迫神経症・心の病全般・緘黙…(以下、ひきこもりに統一)、全てにおいて非常に有用です。
例えば、親子関係が著しく毀損されていなくても、「働くこと」「学校へ行くこと」が話題に上がったり、テレビから流れてくると、わが子の顔が突然曇ったり、不機嫌になったり、自室に逃げるように戻ったりする。
並の親御さんですと、高度成長期〜バブル崩壊、就職氷河期をサバイブして来たご自分の価値観に少なからず自負があったり、そうでなくてもこれまでのご自身の人生観を「普通(人と変わりがない)」と思っていらっしゃることが多いもの。
通常、親の価値観には「働かざる者、食うべからず」「何でも努力をすれば報われるハズ」「まともな人間になるには、逃げずに立ち向かうべき」「嫌なことでも受け入れていくのが人生だ」「やるべきことやってから、モノを言え」…こういった正論を基準としたモノサシが入っているのです。
その親の価値観自体は一先ず問題ないのですが、それを「ひきこもっているわが子」へ当てはめるから、問題が生じるのです。
「ひきこもっている」ことを問題視し、疲弊し、不安になり、困っているのは誰でしょうか?
多くの場合、わが子より「親御さんの方が」ひきこもりを問題視し、疲弊し、不安になり、困っているものです。
だから、親は1日も早く解決したくなる。
そうするとどういう手段に出るか?
「働かざる者、食うべからず」に代表される正論、もっと言えば「なかば脅し」でわが子を動かそうとする。
この、「正論」という強烈な味方を引き連れた親の一言は、「凄まじい切れ味を帯びたナイフ」となってわが子の心を切り裂きます。
これまで何度も申し上げておりますが、中学生以上になれば「フツー、世の中が自分に何を望んでいるか?何が求められているか?」は分かっています。
その「フツーの事」が出来ないから、わが子は苦しいのです。
わが子は、“ちゃんと、フツー“何が正しくて、何が望ましいのか分かっています。
「分かっていても出来ない…」、ここに正論というナイフで切り裂き続けた結果はどうなるでしょうか?。
こういった事がひきこもり115万人、先進国で日本だけ増加し続ける10代の自殺率、日本の殺人事件の半分以上が親族によるもの(先日もまた驚くような事件が発生してしまいましたね…)という現実を招いているのではないでしょうか。
もはや、この国の「フツー(普通)」は正しいとは言えないと私は思っています。
親御さんにココで「わが子の立場になって」考えて欲しいのです。
逆の立場になってみるとどうでしょう。
- 親から、正論のナイフを向けられたいでしょうか?
- 親から、まず、何という言葉を聞きたいでしょうか?
「人のこころ」というものがていをなし、機能し、成熟していくには道程を辿る必要があります。それを端的に言ってみれば親子関係となります。
10代〜50代の子を持つ親御さんから、多く同様の質問をいただきます。
「わが子でも、やり直せるでしょうか?」と。
道程の初めの一歩を歩み直すことは「親子だから可能」なのです。
その一歩を歩むその時、傍らにいる親の顔を見たときにあって欲しいのは「正論のナイフ」?、「あなたはあなたで良いという肯定」?、どちらでしょうか。
逆の立場になって考えてみれば、ひきこもり回復に必要なものが見えてくるハズです。
追伸)
ブログを書いていたら、46年間の人生で2度目の「銀のエンゼル」が出ました。
みなさまの元へ、幸運のエンゼルが訪れますように。
本日もお読みくださり、ありがとうございました。
桝田智彦(ますだ ともひこ)
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